第3話|水とともに暮らす、名もなき日々の美しさ|カシミール・ダル湖とハウスボートの旅

カシミールの旅

この記事は、シリーズ「カシミール・ダル湖とハウスボートの旅」の第3話です。
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🔹 前回:第2話|記憶の奥にあった静けさ

湖の上で過ごす日々は、次第に“暮らし”のようになっていった。
観光ではない。特別な何かがあるわけでもない。
ただ、そこで“暮らすようにいる”ことが、なぜか満ち足りていた。

数日たつと、ぼくの身体も、この場所の時間にすっかり馴染んでいた。
朝はゆっくりと目が覚め、湖面に広がる光のゆらぎをぼんやりと眺める。
鳥の声がどこからか聞こえ、水音だけが時間を刻んでいるようだった。

夕暮れのダル湖越しに見えるハズラトバル・モスクと、その背後に広がるヒマラヤの雪山。淡い空に浮かぶ静かな風景。
ダル湖から望むモスク

ときには、彼とボートを貸し切り、湖岸に点在するまちへ出かけることもあった。

小さなシカール(手漕ぎ舟)に乗り、舟の男が音もなく水をかいてくれる。
何度か漕がせてもらったが、一本のオールではバランスがとりづらく、まっすぐ進むのも大変だった。

なにごともなく、湖上を滑るように進むその感覚は、静けさに時折混じる水音と相まって、
まるで夢の中を漂っているようだった。

ダル湖の水路沿いに並ぶ水上商店。シカールが商品を積みながら店先に横付けされ、人々が水上で買い物を楽しんでいる。
まちへ向かう途中、舟の上から見る水上市場。

湖岸に広がる祈りと暮らしの風景

岸辺にたどり着くと、そこには人々の暮らしがあった。

ある湖畔には、白く大きなモスクが建っていて、昼下がりの光のなか、礼拝の声がどこからともなく聞こえてきた。
預言者ムハンマドの“ひげ”が納められているという神聖な場所で、その名もハズラトバル・モスク

湖岸から少し歩いてたどり着いたそのモスクは、白く大きなドームを携え、存在そのものが風景の中心に据えられているようだった。

ちょうどその日は、年に数回ある“ひげ”の公開日だったようで、モスクのまわりは参拝者でにぎわっていた。
人々がモスクの外で一斉に礼拝を捧げる光景を、ぼくは静かに見つめていた。

どこか幻想的であった。


湖の上にある、もうひとつの生活

別の日、湖を進んでいると、細い水路の奥に小さな水上の商店が現れた。

水草をかき分けながら舟を進め、ようやくたどり着いたその店には、パンや野菜、生活雑貨が並んでいた。
買い物に来ていたのは、この湖に暮らす人々だ。
舟着き場のない家が多いこの湖では、舟は車のようなものなのだと、その風景の中で自然に理解できた。

ダル湖の緑豊かな細い水路に浮かぶ色鮮やかなシカール。両岸には民家や木々が並び、穏やかな朝の風景が広がっている。
水路の奥、緑に囲まれた生活の風景。

毎日のように、果物や日用品を積んだ物売りの舟が、こちらのハウスボートにやってきた。
舟の上から声をかけられ、のぞき込むと、色とりどりの果物や手作りのアクセサリーが並んでいる。
そんなやりとりも、この湖では日常のひとこまだった。

果物をたくさん積んだ物売りの舟に座る男性。湖上には多くのボートが行き交い、にぎやかな市場のような雰囲気が漂っている。
果物を満載した舟が、静かに近づいてくる。

音のない暮らしにほどけていく心

湖の上の暮らしは、たしかに不便な部分もあるのだろう。
けれど、それ以上に、何かが満たされていた。

音が少ないということ。
移動がゆるやかだということ。
自然とともに時間が流れていくこと。

そのひとつひとつが、ぼくの心をほどいていくようだった。

🔹 次回:第4話|Kashmirの旋律と、氷河湖の静けさのなかで
湖を離れた山の奥──誰もいない湖へと続く、小さな冒険の記憶を次回、綴ります。
 

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