リック・ルービンが残した静かな言葉に、心がふと立ち止まることがある。
このシリーズでは、彼の言葉をひとつずつ取り上げながら、
自分自身の在り方と重ねて、静かに掘り下げていきたいと思う。
「恐れは創造の副作用だ。
恐れがあるということは、“まだ探し続けている証拠”なんだ。」
— リック・ルービン
恐れは、間違いの証ではない
何かを表現しようとするとき、
頭のどこかにこんな声が響く。
「こんなことを書いていいのか」
「誰にも伝わらなかったらどうしよう」
「自分はまだ、何者にもなれていない」
恐れに触れた瞬間、私たちはつい、歩みを止めてしまう。
まだ見ぬものに手を伸ばすことが、怖くなるのだ。
でも、リック・ルービンのこの言葉に出会ったとき、
その考えがふっと静かに裏返った。
“恐れは、まだ探している証拠”
それは、心がまだ本気で向き合っているということ
もし、本当に何も期待せず、何も願わないなら、
私たちは恐れる必要もないはずだ。
けれど、恐れているということは、
まだ手を伸ばそうとしている何かがある。
まだ、自分の中に「本当のもの」があると信じている。
それが、創造の副作用。
つまり、真剣に向き合っている証しなのだ。
恐れの奥にあるものに、静かに耳を澄ます
創造とは、「正しさ」や「完成度」を目指す行為ではない。
それは、理想を追い求めず、評価や完成を気にせずに、ただ湧き出てくるままに差し出してみること。
それは、今の自分のままで、何かを差し出してみようとすること。
たとえ恐れがあっても、
それに気づきながら、恐れを見つめてみる。
やがて恐れがすっとほどけて、自然と出てきた言葉や音や行動には、
どこか澄んだ静けさが宿っている。
ひとつの結び
恐れがあっても、いい。
大切なのは、それに気づき、ただ見つめて、対峙すること。
そして、やがてそれがすっと消えたとき、生まれてきたものを信じてみる。
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