第1話|記憶の奥にあった静けさ|カシミール・ダル湖とハウスボートの旅

夕日が沈む湖のほとりで、木造の家屋を背景に、果物や野菜を積んだ手漕ぎボートを漕ぐ男性。 カシミールの旅

※この記事はシリーズ「カシミール・ダル湖とハウスボートの旅」の第1話です。
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【はじめに】
本シリーズでは、カシミール地方で感じた“紛争地とは思えない静けさ”を、記憶をたどりながら綴ります。

今朝、ニュースで「インド国防省がパキスタン支配地域を攻撃した」と知った。
その地名に、思わず目が止まった。
カシミール──
20年前、ぼくがたまたまたどり着いた、思いがけない静けさの記憶がある場所だった。

インド、パキスタン、中国の実効支配地域が色分けされたカシミール地方の地図。ジャンムー・カシミールやアクサイチンなどの地名が記されている。
カシミール地方は、今も3か国がそれぞれ一部を支配している地域だ。

20代のころ、カシミールという名前は、どこか遠くて恐ろしい場所として頭の片隅にあった。

当時からすでに「渡航は控えるように」という外務省の勧告が出ていた。
旅慣れていなかった自分にとって、そんな場所に行くことなんて、ありえないことだと思っていた。

それでも──その地名に惹かれる“種”は、ずっと前にまかれていたのかもしれない。

あれはオーストラリアを旅していた頃。
バックパッカー用の宿で出会った旅人が、こんな話をしてくれた。

「まるで天国みたいな場所がある。
湖の上に浮かぶ家に泊まって、信じられないほど美しい山に囲まれて過ごすんだ」

そのとき彼が言っていたのが、インドの北の端にある カシミール地方 だった。

数年後、インドを旅していたときのこと。
それは、初めてのインドではなかった。何度か訪れたあと、少し余裕ができていた頃だ。

デリーの路地裏を歩いていたとき、声をかけてきた客引きがいた。
いつもなら、そっけなく通り過ぎるような場面だった。
でもそのとき、「カシミール」という言葉が、ふと耳に残った。

「カシミール出身だよ」
そう言って笑った彼の話を、なぜか聞いてしまった。

話を聞くうちに、彼の家は、ダル湖に浮かぶ宿だという。そこで滞在もできるらしい。

それはまさに、オーストラリアで聞いた話そのものだった。

カシミールのダル湖に浮かぶカラフルなシカラとハウスボート群。背景にはヒマラヤ山脈の稜線が広がる。
シカールと呼ばれる小舟が、日常の移動手段だった。

ハウスボート。湖に浮かぶ宿。

危険とされていたはずの場所だったが、彼の話を聞いているうちに、そんな不安はすっかり消えていた。

今思えば、完全に口車に乗せられたのかもしれない。

でもそれもまた旅の流れというやつで──
気づけばぼくは、飛行機のチケットを手にしていた。

補足|カシミール地方について

カシミール地方は、インド・パキスタン・中国の3か国がそれぞれ一部を支配しており、実効支配の境界が入り組んでいる。

特に、インド支配地域(ジャンムー・カシミール)とパキスタン支配地域(アーザード・カシミール)は、幾度も衝突の舞台になってきた。

もともとはヒンドゥー教王が治めていた カシミール王国 だったが、多数派はイスラム教徒。
1947年の印パ分離独立の際、帰属を巡る争いが今も尾を引いている。


旅というのは、不思議な偶然と誘惑の連続だ。
そしてカシミール行きは、ぼくの旅の中でも、もっとも予想外で、もっとも記憶に残っているもののひとつになった。

それが、「危険地帯」と呼ばれる場所の中での出来事だったとは、思えないほどに。

🔹 次回:“自由”を夢見て過ごした、湖に浮かぶ時間
湖に浮かぶ宿で過ごした、あの静かな時間を、次回はもう少し丁寧にたどってみようと思います。

出典:Wikimedia Commons「Kashmir map-es.svg」作者:Planemad( CC BY-SA 3.0
写真提供:・imad Clicks(Unsplash)

Lalit Regar (Unsplash) 

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