この記事は、シリーズ「カシミール・ダル湖とハウスボートの旅」の第3話です。
▶ この連載の全体はこちら
カシミールの旅|シリーズ一覧ページへ
🔹 前回:第2話|記憶の奥にあった静けさ
湖の上で過ごす日々は、次第に“暮らし”のようになっていった。
観光ではない。特別な何かがあるわけでもない。
ただ、そこで“暮らすようにいる”ことが、なぜか満ち足りていた。
数日たつと、ぼくの身体も、この場所の時間にすっかり馴染んでいた。
朝はゆっくりと目が覚め、湖面に広がる光のゆらぎをぼんやりと眺める。
鳥の声がどこからか聞こえ、水音だけが時間を刻んでいるようだった。

ときには、彼とボートを貸し切り、湖岸に点在するまちへ出かけることもあった。
小さなシカール(手漕ぎ舟)に乗り、舟の男が音もなく水をかいてくれる。
何度か漕がせてもらったが、一本のオールではバランスがとりづらく、まっすぐ進むのも大変だった。
なにごともなく、湖上を滑るように進むその感覚は、静けさに時折混じる水音と相まって、
まるで夢の中を漂っているようだった。

湖岸に広がる祈りと暮らしの風景
岸辺にたどり着くと、そこには人々の暮らしがあった。
ある湖畔には、白く大きなモスクが建っていて、昼下がりの光のなか、礼拝の声がどこからともなく聞こえてきた。
預言者ムハンマドの“ひげ”が納められているという神聖な場所で、その名もハズラトバル・モスク。
湖岸から少し歩いてたどり着いたそのモスクは、白く大きなドームを携え、存在そのものが風景の中心に据えられているようだった。
ちょうどその日は、年に数回ある“ひげ”の公開日だったようで、モスクのまわりは参拝者でにぎわっていた。
人々がモスクの外で一斉に礼拝を捧げる光景を、ぼくは静かに見つめていた。
どこか幻想的であった。
湖の上にある、もうひとつの生活
別の日、湖を進んでいると、細い水路の奥に小さな水上の商店が現れた。
水草をかき分けながら舟を進め、ようやくたどり着いたその店には、パンや野菜、生活雑貨が並んでいた。
買い物に来ていたのは、この湖に暮らす人々だ。
舟着き場のない家が多いこの湖では、舟は車のようなものなのだと、その風景の中で自然に理解できた。

毎日のように、果物や日用品を積んだ物売りの舟が、こちらのハウスボートにやってきた。
舟の上から声をかけられ、のぞき込むと、色とりどりの果物や手作りのアクセサリーが並んでいる。
そんなやりとりも、この湖では日常のひとこまだった。

音のない暮らしにほどけていく心
湖の上の暮らしは、たしかに不便な部分もあるのだろう。
けれど、それ以上に、何かが満たされていた。
音が少ないということ。
移動がゆるやかだということ。
自然とともに時間が流れていくこと。
そのひとつひとつが、ぼくの心をほどいていくようだった。
🔹 次回:第4話|Kashmirの旋律と、氷河湖の静けさのなかで
湖を離れた山の奥──誰もいない湖へと続く、小さな冒険の記憶を次回、綴ります。
コメント