20年眠っていた旅の記憶──バフィンのブーツとチベットの空

雪に覆われたチベット高地を旅するための荷物を積んだ自転車 チベット

※これは、20年前のチベット自転車旅を振り返るシリーズの、最初の一編です。
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久しぶりに実家に帰った。
ふとした拍子に、押入れの奥から見つけたのは、20年ほど前に使っていたバフィンのブーツだった。

ホコリをかぶり、すっかり忘れられたその姿は、まるで時間に置き去りにされた記憶のかたまりのようだった。

 

このブーツは、かつて冬のチベットを自転車で旅したときに履いたものだ。
-20℃を想定して選んだバフィンのブーツは、辺境の地では大いに活躍してくれた。

乾いたチベット高原の未舗装路に倒れた旅自転車。遥か遠くまで続く道が、孤独と自由を映し出している
標高3000メートル超、風が巻き上げる乾いた大地。どこまでも続く道の先に、旅はあった。

 

標高3000メートルを超える乾いた大地の上で、時折、砂埃を巻き上げて容赦なく襲ってくる強風。
顔に当たる風は、乾いた肌をひび割れさせるように向かってくる。遮るものがない柔らかい砂地の道では、自転車を降りてただやり過ごしたこともあった。
空気は薄く、慣れるまでは普段なんとなしにできる運動がきつかった。

 

それでも、不思議とあの過酷さが懐かしい。
防寒装備に身を包みながら、静けさと風の音だけが支配するあの高原を進んでいた時間は、今思えばかけがえのないものだった。

 

見渡す限りの平らな荒野、どこまでも続く道、すれ違うヤクと、
強い日差しで真っ黒に日焼けし、標高による低圧のせいでふっくらと丸みを帯びた顔。そこからこぼれる、素朴な笑顔を持った人たち……。

雪原に広がるチベットの村とストゥーパ。静まり返った冬の景色に、祈りと暮らしの気配が漂う
凍てついた空の下、白く包まれた高原の町。その静けさに、心がほどけていく。

 

あのときの空気が、一気に蘇ってきた。

 

そういえば宿に泊まった夜、ヤクのフンを燃やしたストーブで、ブーツのインナーを温めようとして、うっかり溶かしてしまったこともあった。
それでも、もちろん火事を起こさなかったことはなによりだが、ブーツ自体も大事には至らず、その後の旅を最後まで支えてくれた。

笑えるような、でもちょっと情けない失敗。
それでも、このブーツは文句ひとつ言わず、最後まで僕の旅に付き合ってくれた。

 

そんなブーツを、実家から持ち帰ることにした。
最近、雪国へ行く機会が増えてきて、また久しぶりに彼に活躍してほしいと思ったから。
だけど、それだけじゃない気がしている。

 

埃をかぶったままの古いバフィンブーツ。20年ぶりに押入れから出された、チベット旅の記憶が宿る一足
20年の眠りから目覚めたバフィンのブーツ。思い出と一緒に、ホコリも積もっていた。

ところどころひび割れた個所にホースオイルをたっぷり塗りながら、ブーツの革に触れていたら、不意にあの旅が恋しくなった。
ブーツに染みついたあの風の意識が、20年前のチベットの自転車旅の記憶をそっと呼び起こした。

 

ホースオイルを塗ってよみがえったバフィンブーツ。長年の旅を経た革に、再び命が吹き込まれている
をかければ、また歩き出せそうな気がした。この足元から、旅は再び始まる。

あのとき、何を見て、何を感じていたのか。
標高3000メートル、時には5000メートルを越えるチベットの空の下、息をすることさえ意識させられるようなあの場所で、僕は何を求めていたのか。
なぜ僕は、あんなにも遠くへ行きたかったのか。

 

20年という時を超えて、ブーツはまた、僕を旅へといざなおうとしている。
バフィンのブーツが刻んだ足跡の先に広がっていたのは、旅という形を借りた、自分自身への問いかけの時間だったのだと思う。

🔹 次回:第1章|心のどこかで呼ばれていた場所

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