第2章|あの夜の光を追いかけて|チベットの旅

インドまたはネパールの石造りの寺院前でポーズをとる3人のサドゥ(ヒンドゥー教の修行者)。それぞれ顔や体に宗教的なペイントを施し、伝統的な装束を身にまとっている チベット

※このシリーズは、チベット自転車旅の記憶をたどる連載です。
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🔹 前回:第1章|心のどこかで、ずっと呼ばれていた場所。

あの夜の焚火の光を追いかけて、旅に出た。
憧れ、挫折、無気力──そして再び立ち上がるまでの静かな軌跡。


🔹1. 焚火の記憶とサドゥへの憧れ

あの夜、焚き火を囲んで過ごした時間は、
ネパールを離れてからも、ずっと胸の中に燃え続けていた。

何も語らず、ただ静かに、何かを見せてくれたあの老人。
火の揺らめき、川の音、香の煙。

あの夜を包んでいたすべてが、
説明のできない温度で、ぼくの心に残った。

だから、あの夜の光を追いかけるように、
ぼくは再び、旅へと向かうことにした。

ぼくはインドにいた。今回もまた、心のどこかで何かを探している旅だった。

歩みを進めたのは、ヒマラヤ山中の小さな村だった。
そこは、タトパニ(温泉)が湧き出る空気のいい場所で、
すれ違った旅行者に「素晴らしいところだ」と教えられたのだった。

ヒマラヤの山あいに湯気を立てる温泉の村。寺院と川の音が響く静かな場所
ヒマラヤの山あいに湧く温泉―祈りと暮らしが静かに交わる場所

村に着くと、ぼくはそのまましばらく滞在することにした。

温泉は信仰の場でもあり、湯殿は小さな寺院のような佇まいをしていた。
そこには、何人ものサドゥたちが集まっていた。

ゲストハウスに滞在しながらも、
なぜか、ぼくは自然とストイックな生活を送るようになった。

毎日、山の中を歩き、
質素な食事をとり、
人の少ない山手の方へと寝泊まりの場所を移していった。

相変わらず、温泉には通い続けた。
そこでは、焚火を囲んでサドゥたちが祈りの時間になるとマントラを唱え、
ヨガのポーズを取り、あるいは静かに目を閉じていた。

何かを達成しようとするでもなく、
ただそこに在る――
そんな本来のあり方を求める彼らの姿に、ぼくは強く惹かれた。

ある日、温泉の境内を歩いていると、
焚火を囲むサドゥたちに呼び止められた。

言葉少なに、輪に加われと手招きされた。

ぼくは彼らの近くに腰を下ろし、
ただ焚火の揺らめきをじっと眺めた。

何かを学んだわけではなかった。
けれど、静かに、心の奥で、なにかが動きはじめているのを感じていた。

その日を境に、ぼくは、ますます彼らの在り方に惹かれていった。

焚火の周りに集うサドゥたちと、言葉を交わすことはほとんどなかった。
それでも、目を閉じ、じっと火を見つめる彼らの横にいると、
不思議と、言葉よりも深い何かが伝わってくる気がした。

何かを得ようとするでもなく、
何かを見せようとするでもなく、
ただ、在る。

そんな生き方に、ぼくは心から憧れた。

海を背に静かに瞑想するサドゥ。長い白髭と数珠が陽光に輝いている
語らぬ時間のなかに在るもの

気がつけば、彼らのような暮らしを、自分もしてみたいと思うようになっていた。

ぼくはゲストハウスを出て、さらに山の中腹にあった小さな寝床に移った。

水は川から汲み、
食事は簡素なものを自炊し、
毎日、山の中を歩き、
時間が来れば温泉へ向かう。

誰に認められるでもない、
誰のためでもない、
ただ、自分の中の何かを見つめる日々だった。

🔹2. 「なりたい」と「在ること」の間で

「サドゥになりたい」

その思いが、ぼくの心の奥から、静かに、けれど確かに湧き上がっていた。

温泉場の焚火に集うサドゥたちとも、自然と顔を合わせる機会が増えていった。

朝の冷えた空気のなかで、
目を閉じて座る彼らの背中を見つめるたびに、
ぼくは言葉にならない憧れを募らせていた。

だけど、あるときふと気づいた。

ぼくと彼らの間には、超えられない境遇の違いがあった。

一般的にサドゥとは、
人生における仕事や家族といった事柄に、ひとつの決着をつけた者が、
精神的な求道へと進むために放浪する存在だといわれている。

すなわち、
俗世での欲求や、家族への思い、
物理的な理想といったものを一通り経験し、
それらを手放す準備が整った者たち。

彼らにとって、祈りも放浪も、自然な帰結のようにそこにあった。

けれど、ぼくはまだ、
経験するべきことを終えたわけでもなく、
何かを「断ち切る準備」ができているわけでもなかった。

「なりたい」と思うことと、
「自然にそこに在る」ということの間には、
想像以上に深く、静かな隔たりがあった。

ぼくはその違いに、静かに、けれど確かに気づきはじめていた。

気づいたときには、ぼくの中で、なにかがふっと緩んでいた。

まだ何かを得たわけではない。
それでも、もうここには、探していたものの答えはないのだと、
静かに受け入れることができた。

「そろそろ、帰ろう」

誰に告げるでもなく、そう心の中でつぶやいた。

インドの大地を離れることに、後ろ髪を引かれるような思いはなかった。

ぼくは必要なだけここにいて、
必要なものを受け取り、
そしてまた、歩き出すときが来たのだと思った。

🔹3. 帰国と、心の空白を越えて

日本に戻ると、心に空いた小さな穴のようなものに、気づいた。

焦りも、欲望も、意欲も、
まるで霧が晴れるように消えていた。

一見すれば、静かで穏やか。
けれどその実態は、
なにも掴むものがない、底の抜けたような無力感だった。

日々は流れていった。

何かをするでもなく、
ただ、呼吸をしているだけのような日々だった。

あの夜に感じた火の温もりも、
サドゥたちの背中に見た静けさも、
遠い記憶のなかにぼんやりと沈んでいった。

何もせずに過ごす日々は、思ったよりも長く続いた。

静かに漂っているだけだった心は、やがて無気力となり、
そして、知らぬ間に鬱へと変わっていった。

何もやる気が起きず、
家の中で、発狂するような衝動に襲われることもあった。

自分が自分でなくなっていく感覚。
心のどこにも、出口は見えなかった。

そんなある日、心配した家族に、無理やり病院へ連れて行かれた。

薬を飲み、
ただぼんやりと時をやり過ごすような毎日。

外の世界も、未来も、
どこかぼんやりとかすんで見えた。

すべてが、実感の持てない、
リアリティのない世界だった。

ヒマラヤの雪山と麓の谷を流れる川。澄んだ空気と大地の静けさが広がる
霧のように、輪郭を失っていく日々

手を伸ばしても届かず、
声を上げても響かない。

そんな、薄い膜に包まれたような日々を、
ぼくはただ、漂っていた。

やがて、
その日々の底に、知らぬ間に何かが積もっていった。

怒りでもない。
悲しみでもない。

ただ、生きているだけで滲み出してくる、
重く、名前のないものだった。

そのエネルギーは、ある日、押さえきれずに弾けた。

このままではいけない。
何かをしなければならない。

このままでは、
なにか大事なものが、取り返しのつかないかたちで終わってしまう。

ぼくは、衝動のままに、もう一度、動きはじめた。

🔹 次回:第3章|四国一周への衝動|チベットの旅

写真提供:
・Fares Nimr(Unsplash)
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